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リーダーを徹底支援。全体を俯瞰する「軍師」的なポジションで、采配を振るう。

来年4月、福岡大学を卒業し、社会人になる武藤遥香さん(21)。学級委員に立候補し、学生プロジェクトの取りまとめ役を担い、海外の貧困問題にも飛び込んできた彼女ですが、大学生に入り「リーダーになりたい」とは一度も思ったことがないそうです。

代わりに彼女が選んできたのは、優秀なリーダーの隣に立ち、その人の支えになれるような役割──「軍師」と呼ぶべきポジション。トップが脚光を浴びるこの時代に、彼女がそこを自覚的に選び取っているのは、なぜなのか。21歳の現在地から、その思考の根を辿りました。

■ できるまでやる。それが幼稚園からの気質でした。

「跳び箱、縄跳び、鉄棒、一輪車。なんでも泣きながら、もう、どうせできんしとか言いながら、できるまでやるみたいな子でした」と武藤さん。「幼稚園からそうだった」とのこと。やればできる。練習すればできる──そのシンプルな手応えが、原体験として積み上がっていきました。

「乗り越えられなかったこと、あんまりないんですよね」

努力が苦になりませんというより、できないまま放置することのほうが彼女には苦痛。この気質は、後年の活躍ぶりに、そのまま繋がっていきます。

■ 学級委員。「誰もが居心地のいいクラス」を。

中学では3年間、学級委員を務めました。「どんな子でも、少しでも居心地がいいクラスづくりをしていました」と振り返ります 。

新しい環境やクラスの輪に入ることに対して、少し遠慮がちになっている子や、周囲となじむのに時間がかかっている子 ──。武藤さんは自ら同じ班になり 、無理のない居心地の良い雰囲気を作っていきました 。まずは、自分が一番に仲良くなりに行く 。誰にも頼まれずに、それを自分の役割として自然に引き受けていました 。

「クラスが好きだったから、来てほしかったんです」。責任感、ではない。「やりたかったから、行動した」と。

もっとも、中学生時代がすべて順風満帆だったわけではありません。ある時期、学校が安心できる場所ではなくなった瞬間もありました。それでも彼女は、嫌な現実から目を背けるよりも、目の前にあるべき日常を回し続けることを選びました。これが、その後の彼女のすべての選択に通じる、最初のフォームだったかも知れません。

■ 1日10時間、苦にならない勉強。

高校は福岡で人気の学校。志望理由を聞くと、即答でした。「自由な雰囲気が好きだったんです」

受験期、平日10時間、休日12時間の勉強を「苦じゃなかった」と言い切ります。彼女が得意だったのが数学。

「いろんな解き方があるのに、答えが1個になるのが、面白くて」。答えがひとつに収束していく感覚。プロセスの異なる複数の道筋が、最後に一つの正解に着地する設計。武藤さんが惹かれていたのは、「組織を機能させる」という仕事の構造に、どこか似ている気がする。複数の人、複数の動き、複数の都合を、ひとつの目的に向けて束ねていく仕事──彼女が、後にのめり込んでいくのは、まさにそれだった。

■ 「私、夢を諦めてる人たちに届けたい」。1200人の前で歌った。

武藤さんには、もう一つ、意外な顔があります。「歌う人」です。始まりは、コロナ禍。高校の入学式が延期になった春、彼女はギターを手に取りました。教室の奥の端っこで、一人で歌の練習をしていました。

「先輩が聞いていて。あれ、武藤さん、歌もいけるくね?って言われて(笑)」

誘われるままにカラオケに行ったら、その場で誰よりも高得点を出した。文化祭のオーディションに通り、初めての本格的なステージで、1,200人の前で歌いました。

受験期にはSNSで弾き語りも。1〜2か月で5,000人にフォローされました。ライブには延べ4,000人が訪れたこともあります。

ここで彼女がやっていたのは、ただ歌うことだけではありませんでした。配信中、コメント欄に集まる悩み相談に、武藤さんはひたすら答え続けていたのです。受験のこと、進学のこと、恋愛のこと。

「私は夢を諦めてる人たちに届けたいって思って。それで歌っていたんです」

実は、小学生の時、教えるべき立場の教師から「音痴」と言われたという経験を持つ武藤さん。そこで、「歌うことを諦めた」という時期がありました。しかし、もう一度マイクを握ることができた。その経験が、誰かの「諦めかけている自分」に届くと信じ、歌っていたそうです。根底に流れている“利他の根”は、この頃すでに、はっきりと形造られています。

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■ 大学で出会った、企業と組んで社会課題を解く授業。

本命は国際協力でした。小学校の頃から、貧困、戦争、保護犬、障がいのある人──そういうテーマの本を、図書館で繰り返し借りていました。英語を使って、現地で誰かの助けになりたい。そして、福岡大学の経済学部へ。

「めっちゃ楽しいです」

彼女がそう言い切るのには、理由があります。入学早々、ある授業に出会いました。企業と学生がチームを組み、企業や社会の課題を一緒に解いていく実践型のカリキュラムです。武藤さんは、4年間にわたって、別々のチーム、別々の現場で、この授業に身を投じることになります。

1年目のプロジェクトは、不登校の子どもたちが通う場所をサポートするNPOでした。

論理的思考が突き抜けて高く、行動力抜群の同級生。武藤さんはその隣で、必要に応じた支援に全力で取り組みました。

「同級生が“これやりたい”って言ったら、私は“じゃあこれ準備しとくね”といった関係でした。今も一緒に活動してます」

この一年が、武藤さんが自分のポジションを見つけた一年だった。リーダーがやりたいと言ったことを、形にできるように動く。リーダーが見落としていることを、実践できるように。それが、自分が一番輝ける場所だと、彼女は気づいたそうです。2年目は、九州に地盤を構えるあるものづくり企業。

3年目はスケジュール管理、交通費管理、協賛金集めなど、事務局的なポジションに。組織が機能するために不可欠な役回りで、的確に“縁の下の力持ち”を担った。脚光を浴びるリーダー、組織を円滑に回す軍師役。後者がいなければ、リーダーの理想は届かない。誰に教わるでもなく、武藤さんは現場で磨きあげ、補佐としての能力を実装していったように感じます。

■ 海外へ。貧困と向き合う、3度のカンボジア。

授業の合間、彼女はもう一つ、別の現場にも飛び込んでいました。

海外。それも、貧困の現場です。大学在学中、武藤さんはカンボジアに3度渡っています。最初は2週間、二度目は短期で、そして三度目は1か月、ある民間プログラムに参加して、現地のスラム街に通い続けました。

聞き取りの内容は、想像を絶する。家がない家庭、一つ屋根の下に何十人もが暮らす家庭、子どもを18人産んだ女性、夫を3人亡くした女性。日本の常識を一度すべて手放さなければ、対話そのものが成立しない世界でした。

そのなかで、武藤さんは現地で実現可能なビジネスプランを、自分なりに練り上げていきます。彼女が目をつけたのは、石鹸でした。

「あっちでは、食器を洗うのも、体を洗うのも、洗濯も、全部同じ石鹸でやっていて。それで体がかゆいとか、夜中に痛いって人がいたんです」

ならば、現地の人が自分たちで作れる石鹸を、自分たちで作って売れる仕組みにする。設備投資もほとんどいらない。目の前の課題を、目の前の手段で解決する。地に足のついたプランでした。

■ 違和感を、飲み込まなかった。

数々の活動を経験するなかで、武藤さんは幾度か、違和感を覚える瞬間に出会っています。

学生だから。若いから。これも勉強だから。あなたたちのためになるから。──そう言われて、本来やるべきことから少しずつ逸れていく現場。説明されていなかった役割を、その場の空気で背負わされる現場。組織の在り方として、どうにも筋が通らないと感じる現場。

「それ違う」

21歳の彼女は、それを飲み込みませんでした。大人たちの言葉に言いくるめられそうになりながらも、仲間と一緒に、自分たちの考えをきちんと貫こうとしました。声を上げ、問い直し、ときには現場でぶつかったという。

そうした経験が、彼女の判断軸を鍛えていった。組織の善し悪しを、肩書や規模ではなく、実際にそこで何が起きているかで見る目。きれいな建前と、その裏側の構造を、両方とも見据える目。

■ 「困っている人がわかりやすかっただけだったかもしれない」。

3度目のカンボジアを終えて、彼女のなかで、新しい問いが立ち上がりました。

「私は社会課題解決をやりたいって、漠然と思っていたんです。でも、貧困問題から入ったのって、結局、困っている人がわかりやすかったからじゃないか、って」

ボロボロの服。痩せた体。目に見えて困っている人。それは、社会課題の入り口としてはたしかに分かりやすい。しかし、社会課題はそれだけではありません。もっと多様で、もっと多層で、もっと表に見えにくいものがいくらでもあります。

ならば、自分がすべての分野を一人で解決できるわけがない。

「今は、社会課題解決に関わりたいと思っている人を支えられるような人材になる、自分には一番目指す方向なんじゃないかと考えています」

貧困を解決する人ではなく、社会課題に向き合う人を、補佐する人。これが、3度の海外経験を通じて、武藤さんがたどり着いた結論です。

実際に、動き出しているプロジェクトもあります。ケニアへのスタディキャンプです。

企画も資金調達も、ほぼ0から自分たちで立ち上げる。参加者を募り、来年3月の渡航を目指しています。必要な経費などから逆算して、必要な売上を出す仕組みまで、自分たちで設計するという。

経営の知識を、現場で動かしながら学ぶ。彼女は、軍師役として磨かれてきた自分の刀を、いまも一本一本、増やしている最中です。

■ 「私の周りにいると、自己肯定感が上がるらしいんです」。

取材中、武藤さんはこんなことを口にして、笑いました。

「みんな前は低かったんだけど、はるかちゃんと出会ったら高くなっちゃったって言われるんですよ」

彼女自身が、なぜ自分の自己肯定感が高いのか、本人もよく分からないと言います。けれど、21歳の段階で、自分の特性を見極め、「圧倒的なリーダーの隣で、補佐役に徹したい」と覚悟を決めている──そのことと、無関係ではないように思います。

■軍師役として、トップの動きやすい環境を整える。

今の時代、リーダーシップの語られ方は、どうしても「前に出る人」に偏りがち。しかし、組織が本当に動くとき、その裏側には必ず、的確に組織を動かしている誰かがいます。リーダーの理想を、現実の手触りに落とし込んでいく誰かがいます。

その誰かに、21歳ですでに、自覚的になっている武藤さん。この先で、どんな組織を、どんな未来を動かしていくのか。その軌跡が、これからとても楽しみな取材になりました。