アメリカ独立リーグ、ベネズエラからアルゼンチンへ移った即席プロリーグ、ポーランドのグラウンド、宮崎サンシャインズ、そしてもう一度ポーランドへ——。24歳の山内さんは、大学3年から9年間、3カ国の海外と日本の独立リーグを、自分の身体で渡り歩いてきた青年です。「俺はお前をリスペクトしてる」。アメリカで一人の指導者からかけられたその一言が、彼のなかで静かに芽を出し、いま京都で根性論からの脱却と、みんなが楽しめる野球の追求というかたちで、小さな種になろうとしています。「学生のまま」「普段の仕事の延長線上」に、“本気で野球と向き合える場所”をつくり、海外と地域と若者を一つの円でつなぐ——その壮大な構想の中身と、原点について伺いました。
■ 「魂が、震えたんです」——アメリカで聞いた、たった一言。
物語の核に、まずこの場面を置きたい。
大学3年生のとき、山内さんはアメリカの独立リーグに飛び込んだ。最初に所属したチームでは、思うような結果を出せずに苦しんでいた。クビと昇格が紙一枚で隣り合うような環境のなかで、「結果を出さなければ」というプレッシャーが、かえってパフォーマンスを縮こませる。誰もが経験するであろう負のループに、山内さんも嵌まっていた。
ある日、彼のなかで「目の前のことを、全力でやりきるしかない」とスイッチが入る。
不思議なもので、覚悟を決めた途端に、結果は出始めた。すると、その姿を見ていたのが、ライバルチームの監督だった。マイナーリーグへの登竜門として上位に位置する強豪チームの監督で、現役時代はメジャーリーグの第一線で活躍してきた経歴の持ち主だった。
「お前、いいな」
山内さんに、その監督が最初にかけた言葉は、彼が日本の野球で一度も聞いたことのないものだった。
「『俺はお前をリスペクトしてる』と。『お前のやることをやればいい。ダメだったら俺の責任、よかったらお前の手柄。それだけだ。やってこい』と言われたんです。野球指導者からそんな言葉を言われたのは初めて。魂が震えました」
リスペクト。
その一言が、青年の体内に深く刻まれた。それまでは、否定される空気もあった。結果が出ないと、人格そのものを問い直されるような感覚。そのなかで自信を擦り減らしてきた青年に、遠いアメリカの地で出会った一人の指導者が、向き合ってくれた。
「あの人は、選手それぞれが頑張っているポイントをちゃんと見て、『俺はそこをリスペクトしてる』と的確に言ってくれるんです。やみくもに褒めるのではなく、一人ひとりの努力の輪郭をちゃんと分かって、その上で言葉を渡してくれる。だから、響いたんですよね」
この一言が、いま京都で芽吹こうとしている、根性論を超えて選手が伸びやかに育つ野球文化への構想の、最も深い種になっている。

■ 9年で、抱えるようになった「課題感」。
帰国した山内さんが胸に持ち帰ったのは、世界の景色と、もう一つ、いくつかの課題感だった。
「9年間でいろんな国を見て、いろんな選手や指導者と関わってきたなかで、自分のなかに少しずつ残っていったものがあるんです」
たとえば、若い才能のことだ。世界中の野球の現場で、「もっと伸びるはずだったのに」と感じる選手たちに、山内さんは何度も出会ってきた。本人の資質ではなく、置かれた環境や仕組みのなかで、その芽が伸びきれずに終わっていく姿。それは日本に限った話でもないが、日本独自の構造があるのも事実だと、彼は感じている。
「指導の現場って、選手の自主性をどう育てるかと、まとまりをどう作るかのバランスが、すごく難しいんですよね。一方向に振れすぎると、せっかくの才能が伸びにくくなる側面もある。ただこれは、誰かが悪いという話じゃなくて、長年積み重なってきた文化のかたちなので、簡単に変えられるものじゃないんです」
もう一つ、彼が感じてきた課題感がある。日本の野球には、学生をやりながら本気でプロを目指せるルートが、ほぼ用意されていないという現実だ。
「サッカーだったらJリーグのユース、クラブチーム、高校の部活と、いろんな選択肢がありますよね。野球って、そこがもう少しスリムなんです。もし学生のまま、プロを本気で目指したいと思ったら、いまは大学を休学して独立リーグに行くしかない。それって、ハードルが高いじゃないですか」
ここで山内さんが語っているのは、誰かを批判する話ではない。彼自身が9年間を歩いてきた身体の記憶として、「こうだったら、もっと多くの人が生きやすい・伸びやすいのに」と感じてきたこと、その素朴な観察である。
そして、その観察から生まれてきたのが、「根性論を超えて、好きを好きなまま続けられる場所をつくる」という思想と、それを「エコシステム」として実装するという構想だった。
■ 好きを、好きなまま、やりきれる場所をつくる。
「根性論からは、もう卒業していいんじゃないかなって、思ってるんですよ」
山内さんは、自分の思想をそう表現する。
「これは、野球を好きで始めた人が、好きなまま野球をやりきれる、というイメージなんです。途中で挫折して離れちゃう人もいれば、続けるなかで野球そのものへの愛が薄まっていってしまう人もいる。それって、ものすごくもったいないことだと思っていて」
野球を続ける動機が、いつのまにか「認められたい」「結果を出さないと居場所がない」というプレッシャーに置き換わっていく——彼は、自分自身の経験のなかでも、周囲の選手を見てきた経験のなかでも、その入れ替わりを何度も目撃してきた。
「もちろん、悔しさをバネに伸びる人もいます。それを否定したいわけじゃないんです。ただ、もう一つの選び方があってもいいよね、と思っていて。指導者が選手のことを本当に見て、『俺はお前のここをリスペクトしてる』と言葉にしてくれて、選手がのびのびと自分のスタイルで野球を続けられる場所。そういう場所が、もっと増えてもいいんじゃないかな、と」
アメリカで山内さんの魂を震わせた一言が、ここでもう一度立ち上がる。
「楽しんでやる、って軽く聞こえるかもしれないけど、実はめちゃくちゃ強い文化なんですよ。好きなまま野球をやりきった人は、いつかその経験を、また次の世代に渡せる指導者になるんです。そうやって、楽しんで野球をやる文化が次の世代に循環していく。日本全国に広がっていく。それが、僕がいちばん大事にしたいところで」
山内さんが描いているのは、個人の感情の問題ではない。指導者の世代交代を通じて、文化として循環していく仕組みの問題なのである。

■ 「すっからかんに、空いてるんですよ」——誰も手をつけていない空白地帯。
この思想を文化として広げるためには、それを実装する「場所」が要る。山内さんが見据えているのは、まさにここである。
「日本の野球には、学生をやりながら本気でプロを目指せるルートが、ほぼないんですよね。これって、誰も模索していない空白地帯なんです。すっからかんに、きれいに空いてる」
彼は笑いながらそう言うが、目は真剣だった。
「大学生からプロになる選手は、たくさんいるじゃないですか。その人たちは別に学位を取りに大学に行ってるわけじゃない。学生をやりながらでも、プロは目指せるはずなんですよ。理屈の上では」
理屈の上では成立するはずなのに、実際にはそのルートが存在しない。なぜか。それは、現状の構造のなかで誰もそこに手をつけてこなかったから、というシンプルな理由に尽きる。
「だったら、僕がやればいい。本当にそれだけのことなんです」
——その「ただそれだけのこと」を実装するのが、これから明かす京都の構想である。
■ 京都に、海外と学生が交わるチームを作る。
山内さんが描いている絵を、できるだけそのまま紹介したい。
舞台は京都。学生数が日本でいちばん多いこの街に、彼は「学生をやりながら本気で野球と向き合えるチーム」を立ち上げようとしている。次の候補地として福岡も視野に入っているが、まずは京都だ。
集客と選手集めの軸として彼が考えているのは、「海外野球」というコンテンツである。
「日本の野球って、実は世界的に見てめちゃくちゃ評価が高いんですよ。野球の世界ランキングで、男子・女子・男子ソフト・女子ソフトの全部で日本は1位なんです。WBCも、過去6回中3回が日本優勝。圧倒的なんですよ」
日本野球の世界的なステータスは、山内さんが海外の現場で何度も実感してきた事実だ。海外の指導者や選手たちは、日本でプレーしてみたい・指導を受けてみたいというニーズを、漠然とではなく具体的に持っている。
「ヨーロッパの代表クラスの指導者たちと話していると、『日本に行きたい』って人がたくさんいるんです。でも、その受け皿がないんですよね。だったら、僕が呼んでくればいい」
具体的な絵はこうだ。海外から20人の選手と、日本の学生20人。京都を拠点に、彼らが一緒に練習し、リーグ戦を行う。海外の指導者が日本人選手を教え、日本の指導の現場が海外の選手を受け入れる。学生は学業を続けながら、本気の野球と毎日向き合える。
「地域の方々にホームステイをお願いできたら、地域の方々と海外選手の交流も生まれます。地元企業さんがスポンサーや生活のサポートに入ってくださって、選手はオフシーズンにそこでバイトやインターンをする。野球以外の選択肢も自然に見えてくるし、その上でプロを目指す人はそのままプロを目指す。両方のレールが、ちゃんと用意されている場所をつくりたいんです」
野球を入り口にして、地域・国際交流・教育・スポンサーシップが一つの円のなかで回り始める。これが、彼の言う「エコシステム」である。

■ 京都の空き家、地方創生、独立リーグの再設計。
エコシステムを支える周辺ピースも、彼の頭のなかではすでに動き始めている。
たとえば、京都市が抱える空き家の問題。これは行政課題として広く知られているが、選手たちの宿舎としてうまく組み合わせれば、地域課題の解決と、選手の生活基盤の確保が同時に進む。
「いま、京都市の空き家関係の方ともお話を進めようとしているところで。提携できれば、海外の選手も日本人選手も、住む場所が確保できる。地域にとっても、空き家が活用される。両方にメリットがあるじゃないですか」
独立リーグそのものの可能性についても、彼は冷静に見ている。
「独立リーグって、いまどんどん増えているんですよ。プロ野球とは違うルートで才能を伸ばす場所として、すごく価値がある。ただ正直、運営の面ではまだ伸びしろがあるところもあって、ビジネスとして成立させるための工夫の余地が大きい領域なんですよね」
ここで彼が語っているのは、批判ではなく、機会の話である。地域住民の選抜チームと選手チームの対戦企画、お笑い芸人の客寄せイベント、引退したスターによる「マスターズリーグ」的な試合——。エンターテインメントと地方創生とプロ志望のレールを、すべて野球の球場の上で同時並行に走らせる。
「野球場のなかにレストランをつくって、そこでチケットを配るとか、地域の人にホームページの運用をお願いするとか、いろんなやり方があると思うんですよ。ちゃんと設計すれば、野球は地方創生のキラーコンテンツになる」
そして、彼の構想はさらに先を見ている。
「野球で地域の循環ができたら、そこからサッカーとか、ラグビーとか、アートとか、いろんな文化に展開できるはずなんですよ。最初の入り口が野球で、最終的には日本の地域そのものを、もっと面白くできる」
野球を通して、日本そのものの構造を組み替えていく——壮大な絵だが、彼のなかでは無理筋ではない。むしろ、自分が9年間世界を歩いてきたからこそ、見えている地続きの絵なのである。

■ 「自分の功績だ」と誇るやつには、なりたくない。
ここまで読むと、山内さんは野心満々の起業家のように見えるかもしれない。だが、彼が一貫して大切にしているのは、むしろその逆の姿勢だ。
「もし将来このエコシステムが回り始めたとして、それを『自分の功績だ』って誇るような人間にだけは、なりたくないんですよ。それ、めちゃくちゃダサいじゃないですか」
エコシステムは、一人では作れない。彼自身、それを身体で理解している。
「最初は自分でやらないといけない部分もあるんです。でも、ある段階からは、周りの人の力やピースをフル活用して、持ちつ持たれつの関係を一緒に築いていく。そのうえで、僕がだんだん全体を整えていくっていうのが、いちばん持続可能なやり方だと思っていて」
彼が好む比喩は、ウイルス感染とオセロだ。
「『なるほど、それ面白いやん』って人に種のように渡していくと、それが少しずつ感染していって、どこかで一気にオセロみたいにひっくり返る瞬間がくる。そういう広がり方が、いちばん健全だと思うんです」
中央集権ではなく、フラクタルな増殖。自分が全体の頂点に立つのではなく、自分の構想をたくさんの人のなかに分散させ、それぞれの場所で勝手に発酵させていく。彼が描いているのは、そういう種類のリーダーシップなのだ。
「だから僕、いま意識してやっているのは、自分の言葉をちゃんと言語化することと、それをまっすぐ人に伝えることなんです。営業の現場に1ヶ月間身を置いて日々鍛錬しているのも、そのためで。一方的に思いをぶつけるだけじゃなくて、相手の話をちゃんと聞いて、相手の文脈に翻訳して伝える、そういう体力をつけていきたい」
世界を漂流してきた青年が、いま身につけようとしているのは、「伝える力」である。
■ 2028年に向けて、いま、種をまいている。
エコシステム本体の本格スタートは、来年から再来年——彼の頭のなかでは、2028年が一つの目標として置かれている。それまでに、種をまける場所には、できる限りまいておきたい。
今年の試験的な動きとしては、すでに具体的な日程が動いている。日本から海外へ送り出すイベントと、海外を日本へ迎え入れるイベントの両方を、夏と秋に分けて実施する予定だ。ポーランドとの関係を起点に、「送り出す」と「受け入れる」の両方のロールモデルを、まず自分で実装してみせる。
「いきなり大きく始めるより、小さく回してみて、ちゃんと回ることを確認しながらスケールさせていくほうが、結局いちばん早いと思うんですよ」
そして、もう一つの種が、いま彼の手元で形になりつつある「本」だ。
「自分のことをこうやって毎回ゼロから話すのって、けっこうエネルギーがいるんですよね。自己紹介代わりに、自分の人生をまとめた本があったらいいなって思ってたら、出版したいって言ってくださる方が現れて。100ページくらいでスムーズに読める本を、いま編集者の方たちと一緒に作っているところなんです」
本人いわく、「自己紹介代わりの本」。読者がその本を読み、彼の人生のラインを掴んでくれた状態で、もう一歩踏み込んだビジョンを聞いてもらえれば——という、伝達の効率を考えた一冊である。同時にそれは、これからエコシステムを一緒に作る仲間を見つけるための、一種のラブレターでもあるだろう。

■ 「なんで、みんなやらないんだろう」
取材を通じて、山内さんが何度も口にしたフレーズがある。
「なんでみんなやらないんだろう、って、純粋に思っちゃうんですよ」
学生をやりながらプロを目指せる場所がないのも、京都の空き家が活用されていないのも、独立リーグにビジネスセンスが入っていないのも、海外の選手・指導者が日本でプレーしたい・指導したいと思っているのに受け皿がないのも——ぜんぶ、彼にとっては「なんでやらないんだろう」案件なのである。
そして、その「なんで」に答えを書きにいくのが、山内さん自身だ。
「もうね、できる気しかしてないんですよ。絶対できるやろ、って。必要だし、求められてる。それは肌感覚として、はっきり感じてるんです」
彼が3カ国の海外と日本の独立リーグで見てきた景色、ポーランドの代表者の熱、宮崎での朝、チェコ代表のユニフォーム、そして「俺はお前をリスペクトしてる」と言ってくれた敵将の声——。
それらの一つひとつが、いま京都という場所に集約されようとしている。
「最終的には、日本そのものが面白くなる。野球を入り口に、地域も、子どもたちも、海外との関係も、ぜんぶ少しずつ循環し始める。僕一人では作れないんで、仲間を集めながら、ちゃんとした適切なペースで、適切にやっていきたい」
急がない。けれど、止まらない。
世界を9年間歩いた青年が、いま京都の地面にしゃがみこんで、小さな種を植えようとしている。その種が芽を出し、葉を広げ、隣の畑にも飛んでいく頃には、日本の野球文化は、もう少し風通しのよい顔をしているかもしれない。
「楽しんでやる」という、当たり前のはずだったその一言を、いま改めて、当たり前にしていくために——。山内さんの挑戦は、ここから始まる。
