──消費される福祉を、書き換える
「福祉」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
生活保護、介護施設、障がい者支援。多くの人にとって福祉とは、何かにつまずいた誰かのために用意されたセーフティネットである。元気に働き、自分の足で立っている自分には、いまのところ縁のない世界。そう感じている人は少なくないはずだ。
ところが、世界のソーシャルワーカーが共有している「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」を読むと、その常識がまるごとひっくり返る。
「ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である」
弱った人を助ける仕事、とは書いていない。社会を変え、人々の結びつきを育て、人を解き放つ営み──そうグローバル定義は宣言している。
福岡で社会福祉士として働く井手口誠さんは、この定義に出会ったとき、自分がそれまで20年近く続けてきた市民活動・まちづくりの仕事が、すべて福祉だったのだと気づいたという。
井手口さんは現在、就労継続支援B型事業所の生活相談員として障がいのある方の働く現場に立ちながら、社内のDX推進担当も兼ねている。工学部電気工学科を卒業し、市民活動の世界からキャリアを始めた人物が、なぜ福祉に行き着き、いま「消費される福祉を書き換えたい」と語るのか。その軌跡をたどると、日本社会が長らく見ないふりをしてきた、いくつかの空白が浮かび上がってくる。
市民活動の現場に、なぜ障がいのある人はいなかったのか
井手口さんが市民活動の世界に飛び込んだのは、2000年代初頭、まだ大学生のころでした。
「ちょうどNPO法人制度ができたばかりの時期で、福岡市にも市民活動を支援するセンターが立ち上がったところでした。学生時代から、ボランティアやまちづくりの世界にどっぷりでしたね」
阪神・淡路大震災を契機に、ボランティアという行為を仕組み化しようという機運が高まり、1998年に特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されます。井手口さんが学生として活動の輪に加わったのは、その制度がようやく社会に根付き始めた頃でした。
ゴミ拾い、ホームレス支援、環境問題、子ども支援。学生らしい多分野のボランティアを経て、卒業後は市民活動支援センターの職員となり、福岡県内・佐賀・熊本など各地で住民参加のまちづくりや、自治協議会の地域計画策定支援に携わります。ワークショップを設計し、対話の場をファシリテートし、地域の課題解決を住民とともに進める──そういう仕事を、井手口さんは長年こなしてきました。
ところが、当時の自分を振り返ると、あるひとつの空白に気づくと言います。
「ワークショップにも対話の場にも、いろんな人が来てくれていました。でもいま思い返すと、そこに障がいのある方はいなかったんです。認知症の方も、いなかった」
参加できる人だけが参加していた。来られる人だけが「住民」だった。元気に動ける人たちのための場でしか、自分は動いてこなかった──そのことに、井手口さんは長らく気づいていませんでした。
「市民活動の現場で『社会の課題を解決しよう』と言っているのに、福祉の世界とはなぜか出会っていなかったんです。20代の自分には、まだそれが見えていませんでした」
市民活動とまちづくり。その世界で語られる「社会」と、福祉が向き合っている「社会」のあいだには、目に見えない断絶がありました。
2015年、まちづくりと福祉が「繋がった」
転機は2015年に訪れます。
この年、介護保険制度が大きく改正されました。膨らみ続ける介護給付費を持続可能にするため、要介護状態になる手前──いわゆる「予防」の段階に力点を移す方針が打ち出されたのです。各地域の包括支援センターには「生活支援コーディネーター」と呼ばれる役職が新設され、地域の元気な高齢者に居場所と役割を作り、住民同士の支え合いを組織化していくミッションが与えられました。
そして、生活支援コーディネーターたちに「住民参加のまちづくり」を教える研修講師として、井手口さんに白羽の矢が立ちます。
「そこで初めて、ああ、まちづくりと福祉ってつながるんだ、と気づいたんです。10年前のことですから、意外と最近の話です」
20年近くやってきた市民活動の仕事が、実は全部、福祉と呼ばれるべきものだった。子どもの支援も、災害支援ボランティアも、地域コミュニティの再生も、すべてグローバル定義に書かれた「社会的結束」と「社会開発」の実践だった。井手口さんはそこで初めて、自分が立っている地面の正体を知ります。
ただし、繋がったことを喜んでばかりはいられませんでした。研修の場で目にしたのは、制度設計の深刻な歪みだったからです。
「生活支援コーディネーターになる方々は、昨日まで病院でリハビリの仕事をしていた、というような方も少なくありません。それがある日、地域に出て住民の居場所を作ってくださいと言われる。研修では『まちづくりってこういうものですよ』と教えるんですが、現場に持続可能な仕組みを作るためのお金は、ついていない」
予算は生活支援コーディネーター1人分の人件費だけ。地域住民の活動を持続させる事業費はゼロ。マネジメントの専門家もいない。「制度疲弊を起こしているくらいの状態です。10年経った今も、ですよ」と井手口さんは言います。
まちづくりと福祉が制度上つながった、その瞬間に──現場では、つながりを支える土台が抜け落ちていた。井手口さんが「消費される福祉」と呼ぶ風景は、このあたりから輪郭を持ち始めます。

「俺、人権って考えたことなかった」
井手口さんが社会福祉士の資格取得を本気で目指したのは、ある依頼がきっかけでした。
生活支援コーディネーターのひとりに社会福祉士の方がいて、井手口さんに「まちづくりの話を、ぜひ社会福祉士に向けて話してほしい」と打診されたのです。話す相手のことを知ろうと、軽い気持ちで社会福祉の勉強を始めた井手口さんは、そこで思いがけないものに出会います。
「勉強し始めたら、これ、今までやってきたことそのものだなと。学生時代の子どもボランティアも、災害支援も、コミュニティ支援も、ぜんぶ福祉だった。あらためてソーシャルワークというキーワードに出会って、自分の足元の理論がここにあったんだ、と腹落ちしました」
ところが、勉強を進めるうちに、もうひとつの発見が井手口さんを揺さぶります。
「社会福祉士の勉強を始めて、最初に思ったのが──俺、人権って考えたことなかったな、ということだったんです」
人が人として持っている権利。それを侵されないために、社会はどう振る舞うべきか。グローバル定義の中核には「社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理」が据えられています。ソーシャルワークはこの原理の上に立つ、と明言されている。
井手口さんは長年、地域の対話の場を作り、住民の声を引き出すファシリテーションを生業にしてきた人物です。それでも、人権という概念を真正面から考えたことがなかった。これは井手口さん個人の怠慢ではなく、日本社会が共有している空白だと、井手口さんは言います。
「日本人って、人権をインストールされていないんですよ。学校で教わるのは、せいぜい受験対策としての倫理くらい。家庭に丸投げされているのが実態じゃないでしょうか」
たとえば義務教育を例に取ると、子どもには「学ぶ権利」がある一方、子どもに「学ばせる義務」があるのは親の側です。けれど多くの人は、子どもに学ぶ義務がある、というふうにぼんやり理解している。義務と権利の主語が誰にあるのか、丁寧に整理されないまま大人になっていく。
「労働基準法を知らずに働くのって、交通ルールを知らずに車を運転するのと一緒なんですよ。でも、そう言われて初めてピンと来る人がほとんどです」
シングルマザーへの社会的視線、障がいのある方の雇用、共同親権をめぐる議論──井手口さんが現場で目にする数々の論点は、突き詰めればすべて「人権」という空白に行き着くと言います。
「『大変だね』では止まらないんですよ。人の権利を守るとはどういうことかを、ニュートラルな立ち位置から考えられる人がもっと増えないと、議論がいつまでも感情論で終わってしまう」

学問の半分が、抜け落ちている
人権の発見と並んで、井手口さんがソーシャルワークの勉強を進めるなかで気づいたもうひとつの空白があります。それは、グローバル定義の末尾にさりげなく置かれた一語に関わる発見でした。
「ソーシャルワークは……実践に基づいた専門職であり学問である」
専門職であり、学問である。日本では、この後半が決定的に軽視されている、と井手口さんは指摘します。
「現場の福祉職の方々は、本当に優しくて真面目な方ばかりです。資格も持っていて、毎日たくさんの実践を積んでいる。けれど、自分たちがやっていることを言語化する訓練を、ほとんど受けてきていないんです」
支援記録は「あればいい書類」になっていく。「なぜ、この方にはこういう支援を選んだのですか」と尋ねても、「いや、なんとなくそう思ったから」で終わってしまう。井手口さんが現場で何度も目にしてきた光景です。
「実践はこれだけ積み上がっているのに、それが体系として残らない。理論として共有されない。ソーシャルワークは『実践と学問の両輪』だと定義されているのに、片輪走行になっているんですよ」
実践だけでは、技法は次の世代に受け継がれません。研修も、後進育成も、根拠ある支援も、すべて言語化された土台の上に成り立ちます。一方の日本では、ベテランのソーシャルワーカーが積み上げてきた支援の知恵が、退職とともにふっと消えていく。「もったいないんですよ。本当に」と井手口さんは繰り返します。
「資格を持っているのに、その資格のための資格になっている。記録が支援に活きていない。だから、せっかくの実践が組織にも社会にも還元されない」
この問題意識は、後の回で詳しく触れる「AIによる言語化支援」「ソーシャルワーク実践のデータベース化」といった構想に直結していきます。井手口さんが事業所内のDX推進にこだわる理由も、ここにあります。書類業務を圧縮するためだけではなく、言語化されないまま消えていく現場の知を、学問の側に引き上げるためです。
「消費される福祉」を書き換える
まちづくりは福祉だった。人権を考えたことがなかった。学問の半分が抜け落ちている。
井手口さんがソーシャルワークの勉強と現場の往復のなかで突き当たった、3つの空白です。それぞれは別々の発見のように見えて、実はひとつの問いに収束していくと、井手口さんは言います。
「日本では、福祉は『やばくなったら使うもの』だと思われているんですよ。生活保護とか、介護施設とか。確かにそれも福祉です。けれど、それが福祉の全部ではない」
グローバル定義に立ち戻れば、ソーシャルワークの対象は、パワーレスになった人だけではありません。社会変革、社会開発、社会的結束、エンパワメントと解放──これらは、社会のあらゆる領域に開かれた営みです。元気な人がもっと元気になるためにも、福祉の技術は本来、使えるはずだと井手口さんは言います。
「まちづくりだって福祉なんです。人のウェルビーイングを追求するすべての営みは、本来、ソーシャルワークの射程に入っています。それなのに日本では、福祉は『弱者支援』に矮小化されて、補助金で回すビジネスになってしまっている」
井手口さんが「消費される福祉」と呼ぶのは、この矮小化のことです。世界標準の定義に書かれている広大な射程を、日本社会は半分も使えていない。福祉職自身も、その射程を意識して働けていない。結果として、現場は疲弊し、想いだけで人を救おうとして空回りする。
「消費される福祉を、書き換えたいんですよ。福祉の技術はもっと広く社会に届くはずだし、届かせるべきだと思っています」
その「書き換え」を、井手口さんは思想として語るだけでなく、具体的な手段とともに動き始めています。AIとDXによる現場の解放、ビジネスとして回るソーシャルワークの実装、そして「触媒(カタリスト)」という新しい組織観──。
連載第2回では、想いだけでは人を救えない現実に対して、井手口さんがテクノロジーと経営の言葉でどう挑もうとしているかを掘り下げます。

(第2回に続く)