未分類

無罪の確率、0.01%。権力に打ち勝った、「問題判決」を追う。

無罪判決から数か月後、男性が検察庁に問い合わせると、担当検事はもうその街にいなかった。

公務員の異動期ではない、年度途中の転出。行き先は、遠く離れた他県の小さな支部。栄転と呼べる要素は、どこにもなかった。彼を起訴した検事は、飛ばされていた。

男性が犯したとされた罪は、重いものではない。「酒の席で、隣の男を殴ったか、殴っていないか」――有罪になっても罰金数万円で終わる、捜査の世界で「微罪」と呼ばれる類いの話である。

その微罪が、検事の経歴に傷をつけた。

日本の刑事裁判では、起訴された者の99.9%が有罪になる。検察にとって無罪判決は敗北では済まされない「あってはならない事故」であり、内部では「問題判決」という隠語で呼ばれる。無罪が出ればその報告は組織の上層まで駆け上がる。ちなみに一度起こした公訴を検察が自ら取り下げるには、検事総長、次長、そして法務大臣の決裁が要る。つまりこのシステムは、走り出したら止まらない。止める設計になっていないのだ。

そのシステムを止めたのが、「無罪判決」を勝ち取った男性だ。誰もが知る大手企業に勤める、50代の会社員。ここではAさんと呼ぶ。

Aさんは、事件からの二年間で刑事司法の本を100冊以上読み、裁判所に通って200件近い裁判を傍聴した。その200件の中に、無罪判決はただの一度もなかった。自分のもの以外は。

話は、会費5千円の飲み会から始まる。

五千円の夜

10年ほど前の初夏、西日本のある都市。大学の同窓が集まる小さな洋風居酒屋に、Aさんは一人で出かけた。後輩の学生が楽器を演奏してくれるという趣向で、「音楽も聴けて5千円ならいいよね」――その程度の夜のはずだった。

テーブルは7人。そこに、顔を見たことがある程度の男が2人いた。男Xと男Yとする。

2人は最初から場を支配した。投資の話、商売の話。威勢だけはいいが、長年ビジネスの現場で人を見てきたAさんには、実像の見当はついた。聞き流せば、矛先がこちらに向く。Aさんが口を開くたび、茶化す。Aさんと話したい学生が声をかければ、割り込む。それが1時間以上続いた。

そして糸が切れた。Aさんは立ち上がり、怒鳴った。

「怒鳴ったのは事実です。それは間違いない。あまりにもひどかったから」

騒ぎに出てきた店主へ会費の倍の金を渡し、詫びて店を出た。大人の酒席の、苦い一幕。普通なら、そこで終わった話だった。

だが翌朝、男Xはかかりつけの耳鼻咽喉科へ行き、診断書を手に入れていた。

後の裁判で明らかになるが、そこで受けた処置は、以前から通う副鼻腔炎の治療で使う鼻の吸入だけ。湿布も痛み止めもなし。カルテに怪我の所見はない。それでも、書類は書類だ。

「殴られた」と言うX。「殴ったように見えた」と言うY。そして診断書。――この時点で、一人の人間を二年間挽き続けるシステムのパーツは、すべて揃ってしまったのだ。

約1か月後、会社のAさんに電話が入る。名乗ったのは個人名。不動産か貴金属の勧誘かとあしらいかけたとき、相手は言った。「警察署の者です」。

呼び出された先で告げられた容疑に、Aさんは絶句する。あなたはあの夜、Xさんを殴った。それも、2回。

酒が入っていた。怒鳴ったのも事実。──ここで、「冤罪」という現象の最も不気味な性質が顔を出す。周りが「殴った」と言い、警察が「殴った」と言うと、揺らぐのは事実ではなく、記憶のほうなのだ。数日後、法律相談の席でAさんは弁護士にこうこぼしている。

「……殴ったんかなあ」

取調べは何度も繰り返された。取調官は、悪徳警官ではなかった。むしろ逆だ。弱い者が殴られた、かわいそうに――そう信じ込んだ、正義感の強い男だった。おそらくこれが冤罪の作られ方の標準形で、悪意より善意のほうが、ずっと質が悪い。否認するAさんに、取調官は繰り返した。

「みんな見てんだよ」

みんなとは誰か。何度問うても、名前は決して出てこなかった。

書類が検察へ送られると、検事は判で押したように同じ言葉を繰り返した。「謝ってきたらどうですか」。謝罪すれば金の話がつき、認めたことになり、事件は検察の手を「きれいに」離れる。全員にとって、それが一番楽な出口だった。

――ここで、読む手を少し止めてほしい。

このときAさんの前にあった道は3つ。①相手に100万円ほど包んで被害届を下げてもらう、通称「大人の対応」。②略式手続きで罰金を払い、1日で終わらせる。ただし前科がつく。③否認を貫き、99.9%の壁に正面からぶつかる。

あなたなら、どれを選ぶだろうか。会社がある。家族がいる。世間体がある。①なら、明日からすべて元通りだ。

ほとんどの人間が①を選ぶ。無実でも、選ぶ。だからこそ99.9%という数字は保たれている。あの統計は「日本の警察は間違えない」ことの証明ではない。「日本人は起訴される前に頭を下げる」ことの証明でもあるのだ。

Aさんも、傾いた。「勉強料かな」と自分に言い聞かせかけた。元警察官だった近しい知人にも相談した。「せっかく入った会社のこともある。現実的に考えたらどうか」。起訴された人間がどうなるか、誰よりも知る知人からの忠告だった。

それでも彼は③を選ぶ。理由を尋ねると、返ってきたのは「真っ直ぐな正義」や「揺るぎない信念」ではなかった。

「勇気があって戦ったんじゃないんです。あの男に頭を下げて、すみません、許してくださいと言って、そのうえ金まで払う――それだけは、どうしてもできなかった。一番引きたくないクジが、最後にそれだけ残った。それだけです」

いわゆる“英雄”の動機ではない。本人曰く「消極的な選択」。だが二年間、彼の中で一度も折れなかった。

戦闘準備

感情だけでは、システムには勝てない。ここからのAさんの動きが、この物語を凡百の悲劇と分けていく。

まず、記録を持った。取調室に入るとき、胸には指ほどの小さなレコーダーが忍ばせてあった。密室で何が語られようと、後に残るのは向こうの作る調書だけ――ならば、こちらも証拠を持つしかない。

その調書には、最後まで判を押さなかった。日本の刑事裁判は調書でほぼ決まる。「調書がほとんど命です。あれでほぼ100%決まる」。だから何度取調べを重ねられても、署名だけは拒み続けた。あるときは自分から「嘘発見器にかけてくれ」と申し出た。受け入れられることはなかったが、その申し出をしたという事実は残る。

家を出る朝には、妻に必ず言い残した。「夜12時を過ぎて連絡がなかったら、翌朝すぐ弁護士に電話してくれ」。取調べからそのまま逮捕された事例を、本で読んで知っていたからだ。会社には最後まで告げなかった。言えば、切られる。大きな会社ほどそうだということを、男性は熟知していたからだ。

夜と週末には、本を読んだ。冤罪、取調べ、裁判官の生態。100冊を超えた。そして裁判所に通い、他人の裁判を傍聴した。200件。目的は知識だけではない。「本番で緊張しないように、法廷という場に体を慣らしたんです」。その200回で無罪判決を一度も見なかったことは、彼に絶望ではなく、法定での「相場観」を与えた。

台風

公判は、通常の倍以上の回数を重ねた。認めないからだ。

法廷で、相手側の証言は揺れ始めた。捜査段階の供述と食い違い、「殴った」は「殴ったように見えた」へ後退し、「よく覚えていない」「分からない」が連発された。弁護士は電話でのやり取りの記憶まで突きつけ、じわじわと信用性を削っていく。

だがAさん側には、決定打が欠けていた。あの夜のテーブルにいた、利害関係のない第三者の証言だ。学生だった。

接触は容易ではなかった。起訴前に動けば「証拠隠滅を図った」と調書に書かれかねない。起訴後、店を介して頼み、断られた。手紙を託して直接電話をもらえたときの答えも「申し訳ないですが、お断りをしたいです」。一学生にとって、刑事法廷とは、それほど重い。

流れを変えたのは、人間ではなかった。台風である。

公判期日の当日、大型の台風が直撃し、街の交通が止まった。期日は流れ、審理は2か月延びた。その日は相手側2人の証言が予定されていた日だった。そしてこの2か月の間に、Aさんは大学の恩師筋の教授を介して、学生とその両親へ手紙を届ける。三度目の依頼で、返事が来た。――お引き受けします。

延期で審理の組み方が変わっていたことで、裁判所は彼女の証人採用を認めざるを得なくなった。彼女は父親に付き添われて法廷に立ち、あの夜を証言した。

さらに相手側は、自滅の証拠を自ら送ってきた。Aさんの自宅に届いた、約60万円の損害賠償を求める内容証明。弁護士と相談し、これをそのまま裁判所へ提出した。

これだけ揃えて――それでも、一審は有罪だった。罰金刑。誰も見ていないはずの殴打の瞬間が、判決文の中では、まるで見てきたかのように描写されていた。99.9%とは、そういう数字である。

控訴した。しかし、医師の鑑定尋問の請求は、却下。審理らしい審理のないまま、裁判長は言った。

次回、判決。「あなた、来ますか?」

──つまり、何も調べずに終わるのか。目の前が暗くなった。絶望を感じた。二年間が、音もなく閉じるのかと。

しかし。後から思えば、兆しはあった。この裁判長は、法廷で書類ではなく人間の顔を見て話す。書類至上主義ではなかった。判決期日を告げたとき、被告人席のAさんに、妙な一言を残した。あなた。来ますか?」

逆転無罪判決。その背景にある、重さ。

判決の日、法廷で読み上げられたのは、「逆転無罪」。判決文は、弁護側が控訴趣意書で突きつけた疑問の一つひとつに、ほぼすべて答えを書き込んでいた。あの「次回、判決」は絶望の宣告ではなく、すでに心を決めた裁判長の、事務連絡だったのだ。

後にAさんは知る。無罪判決を書くという行為が、裁判官の側にとってどれほど重いか。無罪判決は最高裁の事務方の目に晒される。だから書くなら、どこから突かれても耐える文章を書き切らなければならない。多くの裁判官は、その坂を登らない。登らないまま、99.9%は今日も更新されていく。

「一番驚いたのは、実は弁護士さんたちでした。職業柄、彼らが一番知っているから。一生に一度も立ち会う機会がない。無罪判決は、それほど珍しいことだそうです」

検察は上告しなかった。無罪確定。そして冒頭の場面に戻る――彼を起訴した検事は、年度途中に遠い支部へと消えた。罰金数万円の微罪が、組織の中では、それほどの「事故」だったのである。

確定後、Aさんはあの取調官に電話をかけている。「二年前の件を覚えていますか」と。

そのうえで告げた。あの2人を虚偽告訴で訴えたい、被害届を出しに行く。受話器の向こうで、かつて「みんな見てんだよ」と迫った男は、激昂した。みんなが見ていたはずの事件は、無罪だった。

細い線

なぜ、この男性が勝てたのか。

頭を下げることをどうしても拒んだ一点の感情。レコーダーと、判を押さなかった調書。100冊以上の冤罪の書籍の読み込みや、関連法規の勉強。二百回の傍聴が作った場慣れ。勇気ある一人の証人。人間の顔を見る裁判長。そして、台風。

取材の間、男性のたゆまぬ努力をひしひしと感じた。しかし、その上でAさんは言う。「結局は、運の要素が大きいですよ」と。

裁判の途中、心は何回も折れたとAさんは言う。「折れたけど、レールに乗ってしまったから、やるしかなかった」。二年間、事件を思い出さない日は一日もなかった。

あれから10年近く。Aさんは今も冤罪事件を追い、死刑執行後に再審が争われる事件の集会に通い、請われれば弁護士会で体験を語る。

同じ立場に陥ってしまった場合への助言は三つ。すぐ弁護士を呼ぶこと。記録を取ること。言い負かされると感じる人は、勇気を持って黙秘すること。そして、こう付け加えるのを忘れない。

「裁判で無罪を取れ、なんて言いません。目指すべきは、起訴させないことです。私はたまたま、取れただけですから」

思い出してほしい。発端は、会費5千円の同窓の飲み会である。彼はそこで、あまりに無礼な男を怒鳴りつけた。ただ、それだけだった。

平穏な人生と被告人席を隔てる線は、私たちが思っているより、はるかに細い。そしてそこから、戻ってこられた人間は――1000人に、1人しかいない。

(本記事は、本人の意向により、人物・地名・時期等を特定できないよう一部の情報を変更・抽象化しています)