福祉・ソーシャルワーク

【第4回(最終回)】「社会を、変えていい仕事」――ソーシャルワーカーが狙う、本当の射程

研修で登壇し、付箋を手に説明する社会福祉士の井手口誠さん

――井手口誠が辿り着いた、ひとつの答え

ソーシャルワーカーとは、何をする人なのか。

社会福祉士の国家資格を持つ人。生活に困った人の相談に乗る人。介護や障害者支援の現場で働く人――。世間が抱くイメージは、おおむねこのあたりに収まる。けれど、これまで3回にわたって井手口誠さんの語りを聞いてきた読者なら、もう気づいているはずだ。それは、ソーシャルワーカーという職業のごく一部分でしかない、ということに。

では、ソーシャルワーカーとは本当は何者なのか。

井手口さん自身が、5時間に及んだインタビューの中で、何度も角度を変えながら答えようとしていたのが、まさにこの問いだった。最終回は、その答えを井手口さんの言葉から組み上げ直していく。

研修で登壇し、付箋を手に説明する社会福祉士の井手口誠さん

「人と環境のあいだ」に立つ仕事

インタビューの後半、井手口さんが何度も口にしたフレーズがあります。

「ソーシャルワークの土台にあるのは、人と環境の相互作用なんですよ」

人が人だけで生きているわけではない、という当たり前の事実から、ソーシャルワークは出発します。人は家族の中で、職場の中で、地域の中で、制度の中で、文化の中で生きている。困りごとが起きるときも、その人個人だけの問題であることは少ない。たいていは、その人と環境のあいだに、なんらかの摩擦や歪みがある。

「人だけを見ない、環境だけも見ない。両方の『あいだ』を見る。そこが整っていないから、その人がしんどくなっているんじゃないか――そう考えるのが、ソーシャルワークなんです」

これは医療とも、心理学とも、教育とも違う視点です。医療は人の身体に介入する。心理学は人の内面に介入する。教育は人の能力に介入する。けれどソーシャルワークは、人と環境の「あいだ」に介入する。

「だから、人にも働きかけるし、環境にも働きかける。両方やっていいんですよ」

両方やっていい、という言葉は軽やかですが、含意は深い。ソーシャルワーカーは、目の前の利用者を支援するだけでなく、その人を取り巻く家族・職場・地域・制度――場合によっては社会そのものに介入する権限を、職業として与えられている、ということです。

社会を変えていい職業がある

世界のソーシャルワーカーが共有する「グローバル定義」を、もう一度引いてみます。

「ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である」

最初に出てくる言葉が「社会変革」であることに、多くの人は意表を突かれるのではないでしょうか。福祉の専門職の定義の冒頭に、社会を変えるという過激な動詞が置かれている。

井手口さんは、これを当然のこととして受け取っています。

「ソーシャルアクションって、ちゃんと相談の技法のひとつなんですよ。社会を変える、っていうのは、ソーシャルワーカーが現場でやっていい――というか、やるべき仕事なんです」

第2回で井手口さんが「補助金に頼るビジネスはもう終わりにしたい」と語った背景にあるのも、この社会変革の発想です。制度が歪んでいるから現場が疲弊している。だったら制度のほうに手を入れる――それも立派なソーシャルワークの実践だ、と井手口さんは言います。

「個人を一生懸命支援することも大事です。でもそれだけだと、いつまで経っても同じ問題が再生産される。だから、社会の側にも働きかける。両方やる職業なんですよ、ソーシャルワーカーは」

社会を変えていい職業がある――この事実が、もっと広く知られていい、と井手口さんは強調します。それは、ソーシャルワーカー自身がまず、自分の仕事の射程を取り戻すために。

「人の幸せを追求するのが、福祉なんですよ」

井手口さんが取材中、もっとも素朴に、もっとも繰り返し口にしたのが、この一言でした。

「人の幸せを追求するのが、福祉なんですよ」

第1回でも触れたように、日本では「福祉」は「弱った人を助けるもの」というイメージで固定されています。生活保護、介護、障害者支援。やばくなったときに使う、最後のセーフティネット。

井手口さんの定義は、もっと広い。

「障害があろうがなかろうが、子どもだろうが大人だろうが、高齢者だろうが、福祉って本来、みんなにあるものなんですよ。みんなの幸せを、専門家がサポートする仕組み――それが福祉です」

グローバル定義の言葉でいえば、これが「エンパワメントと解放」の射程です。パワーレスになった人を救うだけでなく、すべての人がより自分らしく生きられるよう、力を引き出していく。

井手口さん自身、AIを「思考の義足」として障害のある利用者に手渡す実践を語りながら、こう言いました。

「義足って、本来は怪我した人や障害のある人のためのものでしょう。でも、もし健常者がそれを使ってもっと速く走れるなら、使ったらいいじゃないですか。福祉の技術も、それと同じなんです」

ソーシャルワーカーが扱う技術――対話のファシリテーション、意思決定支援、人と環境のアセスメント、エンパワメントを促す関わり方――は、本来、誰の人生にとっても役に立つ技術です。それが日本では「弱者のためのもの」に押し込められてしまっている。井手口さんは、この押し込めの蓋を開けに行こうとしています。

「実践に基づいた専門職であり、学問である」

グローバル定義の末尾には、ぽつりとこう書かれています。

「実践に基づいた専門職であり、学問である」

実践と学問の両輪。これがソーシャルワーカーの本質を語る上で、決定的に重要なフレーズだと井手口さんは言います。第1回で触れた通り、日本ではこの「学問」の側が抜け落ちている。

「現場の人たちは、本当によく実践しているんです。でも、自分のやっていることを言語化する訓練を受けていない。だから、せっかくの実践が次の世代に渡らないし、組織にも社会にも還元されない」

これは個々のソーシャルワーカーが怠慢だ、という話ではありません。日本のソーシャルワーカー教育、現場の制度設計、評価の仕組みが、すべて「実践のみ」に偏っている結果です。

井手口さんがAIによる言語化支援や、ソーシャルワーク実践のデータベース化を構想しているのは、まさにこの片輪走行を直すためです。

「実践と学問が両輪で回りはじめたら、ソーシャルワーカーって、もっとずっと強い専門職になれるんですよ」

学問とは、ここでは大学のアカデミアだけを指しません。日々の支援を言語化し、構造化し、共有財産にしていく営み全体です。井手口さんの言葉でいえば「実践知の共有財産化」――それが、ソーシャルワーカーが取り戻すべきもう一つの本質です。

人権という、足元の岩盤

そして、これらすべての土台に置かれるのが「人権」です。

グローバル定義は、ソーシャルワークの中核原理として「社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重」を掲げています。井手口さんが社会福祉士の勉強を始めたとき、もっとも強く揺さぶられたのが、この「人権」という岩盤の存在でした。

「俺、人権って考えたことなかったな、って思ったんですよ。それまで20年近く市民活動をやってきていたのに、です」

人が人として持っている権利を、誰がどう守るのか。義務と権利の主語は誰にあるのか。公共の福祉とは、本当はどういう意味なのか。これらは、日本社会では学校でも家庭でも、丁寧に教えられない概念です。

ソーシャルワーカーは、この「教えられない概念」を職業の中核に据えなければならない、希少な存在です。

「ニュートラルな立ち位置から、人の権利ってなんだろう、って考えられる人が増えないと、社会の議論はいつまでも感情論で終わってしまう。ソーシャルワーカーは、その『考える人』のひとりであるはずなんです」

シングルマザー支援、障害者雇用、子どもの貧困、共同親権、生活困窮――井手口さんが現場で出会ってきた論点は、突き詰めればすべて人権の問題に行き着きます。表面の制度や数字をなぞっているだけでは、本当の解決には届かない。

「人の権利を守るって、どういうことなのか。それを考え続ける職業――それがソーシャルワーカーなんだと、僕は思っているんです」

ソーシャルワーカーとは、何者か

ここまでの井手口さんの言葉を、ひとつの像に組み上げてみます。

ソーシャルワーカーとは、人と環境の「あいだ」に立つ職業である。社会変革を技法として持ち、人々のエンパワメントと解放を促し、実践と学問の両輪でその仕事を磨き、そのすべてを人権という岩盤の上に据えている。

利用者個人を支援するだけでなく、その人を取り巻く環境にも介入する。制度に問題があれば制度を変えに行き、社会の認識に歪みがあれば認識を変えに行く。そして、その仕事の対象は「弱者」だけに限られない――すべての人が、より自分らしく生きるために、ソーシャルワークの技術は使われ得る。

これが、井手口さんが3回の連載を通じて言いたかったソーシャルワーカーの本質です。

だから井手口さんは、AIとDXを現場に持ち込みます(第2回)。書類仕事に潰されているソーシャルワーカーは、本来の射程を発揮できないからです。

だから井手口さんは、補助金依存からの脱却を訴えます(第2回)。補助金は支援対象を「弱者」に固定し、ソーシャルワークの広い射程を狭めてしまうからです。

だから井手口さんは、「触媒」という新しい役割を構想します(第3回)。これは障害者雇用の話であると同時に、組織と社会の人権意識を底上げするソーシャルアクションでもあるからです。

点として見えていたピースが、ソーシャルワーカーの本質という一つの問いに向けて、すべて収束していきます。

ある社会福祉士の挑戦

井手口誠さんは、福岡で働く一人の社会福祉士です。事業所で生活相談員を務めながら、社内のDX推進担当を兼ね、若い世代を巻き込んだ事業構想を進めている。一見すると、あちこちに手を伸ばしている人物にも見えます。

けれど、5時間のインタビューを終えた今、それらすべてが「ソーシャルワークを社会に実装する」という一つの仕事の異なる側面でしかないことがわかります。

「ソーシャルワークを、ちゃんと社会の中に実装したいんですよ」

井手口さんが繰り返したこの言葉は、業界向けのスローガンではありません。グローバル定義に書かれた、ソーシャルワーカーという職業の本来の射程を、日本社会の中で取り戻す――そういう構想の宣言です。

そのために、井手口さんは仲間を集めようとしています。

「同じ価値観を共有できる福祉職の仲間。それから、社会に対して何かいいことをしたいと思っている若い人たち。あとは、人権意識をきちんと持って組織を作ろうとしている経営者の方々」

これらの人々を、ソーシャルワークという土台の上に集める。そして、AIとDXで現場に余裕を作り、補助金に頼らないビジネスモデルでサービスを回し、障害のある人を触媒として組織に迎え入れる。

「日本人って、もともと助け合う民族だったんですよ。村社会の中で、誰かが屋根を葺けば、みんなで一緒に手伝う。そういう助け合いのDNAは、まだ消えていないと思うんです」

助け合いを、もう一度――けれど今度は、補助金依存でも、属人的な善意でもなく、テクノロジーと経営とソーシャルワークの言葉で再設計された形で。井手口さんが描いている風景は、福祉業界の改革にとどまらず、日本社会のあり方そのものに対する、ささやかだけれど芯のある提案になっています。

結び――ソーシャルワーカーは、社会の触媒である

第3回で語られた「触媒」というキーワードは、障害のある人だけに当てはまるものではないのかもしれません。

ソーシャルワーカー自身もまた、社会にとっての触媒である――。

人と環境のあいだに立ち、ぶつかり合いを恐れずに介入し、その場にい続けることで、組織や地域や社会の側を変えていく。井手口さんが事業所で利用者と「AIと3人で相談」している光景も、生活支援コーディネーターに街づくりの作法を教えている光景も、中小企業に福祉技術を実装しに行こうとしている構想も、すべては触媒としてのソーシャルワーカーの仕事です。

「ソーシャルワーカーは、もっと社会に出ていっていいんですよ。制度の中に閉じこもっていないで」

井手口さんはそう言って、笑いました。

社会変革と社会開発、社会的結束、エンパワメントと解放――グローバル定義に書かれたあの広大な射程を、日本のソーシャルワーカーが取り戻すとき、福祉という言葉が指す風景は、いまよりずっと豊かなものになるはずです。

井手口誠さんという一人の社会福祉士が始めようとしている挑戦は、その風景を作り変える、最初のひと押しになるかもしれない。

(インタビュー連載完)

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