──「人と話すのが苦手で、実は幼い頃からずっと人見知りでした」と話す、帆士茉奈実さん(21)。フィリピンとオーストラリア、2カ国で過ごした半年間の留学を経て、彼女が知ったのは「自分が動けば、世界の見え方が変わる」ということだった。貧困の現実を目の当たりにした衝撃、そして小さな行動の積み重ねが人生観を変えていった過程について、話を伺った。
「若いうちに、視野を広げたい」──と、留学を決意。
福岡県出身、現在21歳。幼稚園の頃は親の後ろに隠れて動かず、遊ぶ相手もいつも決まったメンバー。それは、少林寺拳法や中学・高校でのバドミントン部(レギュラー)といった体育会系の活動に打ち込むというアクティブな行動力と活動をする中でも、変わらなかったという。負けず嫌いな一面もあり、うまくいかないことがあると納得いくまでやり直す子どもだった。
転機のひとつは小学5年生のとき。県主催のプログラムで、風力や地熱といった自然エネルギーの話に触れ、社会問題について考えるハードルがぐっと下がったという原体験を得る。大学は北九州市立大学の経済学部へ進学。そこでもう一段、自分を変えるきっかけを探していたところに、もともと心の奥底に眠っていた「若いうちに海外に行って視野を広げたい」という気持ちに火がつき、諸々のタイミングもうまく重なり、留学を決意する。
当初は大学の交換留学制度でアメリカへ行く予定だったが、出発直前にアメリカの移民・ビザ政策の影響で学生ビザが取得できなくなり、急遽行き先をフィリピンとオーストラリアに切り替えることに。初めての海外、英語もほとんど話した経験がないまま、帆士さんの留学生活は始まった。
「これが、日本の当たり前じゃなかった」──フィリピンで目の当たりにした貧困と格差
最初の4ヶ月を過ごしたのはフィリピン。英語を母国語としない国でありながら、マンツーマン授業を含む充実した語学教育制度が整っており、ネイティブ圏へ渡る前の「土台づくり」として選ぶ留学生が多い国だ。到着してすぐに感じたのは、日本との圧倒的な差だった。現地の通信事情がわからず、SIMの手配だけでも一苦労。停電や断水は台風のたびに起こり、寮の水道が止まってお風呂に入れない日もあった。「日本じゃ考えられないですよね」と帆士さんは振り返る。一方で、物価の安さに驚かされるなど、新鮮な発見も多かったという。

ただ、本当に衝撃を受けたのはインフラの弱さより、街を歩くたびに目にする光景だった。信号待ちの車の間を縫って物を売り歩く、10歳ほどの子どもたち。歩道に座り込み、小さな子どもを抱えてぐったりしている人々。地面に寝転がって暮らしているとおぼしき人の姿。「自分が当たり前だと思っていた日本の当たり前が、あくまでも日本だけの常識でしかないないことをまざまざと実感しました」。格差の現実を突きつけられた4ヶ月間は、彼女の価値観を静かに揺さぶっていった。
オランゴ島で気づいた、「自分が心を開けば、相手も開いてくれる」ということ

そんなフィリピンでの日々のなかで、帆士さんの人見知りを変えるきっかけになった出来事がある。観光客の少ない離島、オランゴ島を訪れたときのことだ。レンタサイクルを借り、島を巡っていると、すれ違う現地の人たちが次々と手を振ってくれた。目が合っただけで、大人も子どもも関係なく笑顔を向けてくれる。「観光地化されていない、ありのままのフレンドリーさに、衝撃を受けました」。

寮生活そのものも、彼女の心に変化を与えた。年齢やルーツなどもバラバラな日本人の先輩・同期との共同生活は、「熱を出せば誰かがポカリやご飯を分けてくれる」ような、密な助け合いの場でもあった。学校には韓国、サウジアラビア、台湾、ロシアなど各国からの留学生も多く、気づけば国籍を超えた友人ができていた。今もSNSで連絡を取り合っているという。「自分がオープンでいれば、相手もオープンに心を開いてくれる。自分が笑顔でいれば、その場の空気そのものが明るくなる」。現地のスタッフから「なんであなたはいつもそんなにハッピーなの?」と聞かれたこともあった。「それに気づいてから、コミュニケーションの取り方や自分のテンションの出し方が、以前よりずっと楽になりました」。人見知りだった帆士さんにとって、これは小さくても確かな転換点になった。
自由な2ヶ月間で痛感した、「自分から動かないと1日は始まらない」という現実
フィリピンでの4ヶ月を終え、次に向かったのはオーストラリア・メルボルン。地震がほとんどないため高層のガラス張りの建物が立ち並び、都市部でも大きく手入れされた木々が生い茂る、日本とはまるで違う「綺麗さ」の街だった。ホームステイ先は中国系のご年配夫婦の家庭で、広い個室を与えられ、色々な場所に連れて行ってもらうなど、温かく迎えてもらったという。語学学校の授業は1日3時間ほどで、フィリピンに比べて自由に使える時間が格段に増えた。しかし、この「自由」こそが、帆士さんにとって新たな課題になったという。

「自分から行動しないと、1日の充実度がまったく上がらないことに気づいたんです」。誰かが予定を組んでくれるわけではない。自分で1日の計画を立て、友達を誘い、行きたい場所を決めて動く──それを意識的に繰り返すようになった。フィリピンで日本人の先輩に教えてもらった「Meetup(ミートアップ)」というアプリも、この時期から積極的に活用するようになる。言語交換を目的にした国際交流系のイベントだけでなく、社会人が集まってビジネスやチャレンジについて語り合う会にも顔を出した。現地の友人と旅行に出かけることもあった。受け身では何も始まらない──オーストラリアでの2ヶ月は、そのことを繰り返し体に刻み込む時間になった。
0から計画した、初めての一人旅──1泊2日のシドニー
その集大成として、帆士さんは留学中に一度も経験のなかった「一人旅」に挑戦する。行き先はシドニー、1泊2日の弾丸旅行。飛行機の予約から2日間のスケジュールまで、すべて自分ひとりで組み立てた。オーストラリアは物価の高さにも驚かされる国で、500〜700mlのペットボトルの水が600〜700円するほど。限られた予算のなかでのやりくりも、旅の計画に組み込む必要があった。周りからアドバイスをもらいながら進めた部分はあったものの、「本当に、0から自分で決めるのは初めての経験でした」。

もちろん、すべてがうまくいったわけではない。計画通りに進まなかったこともあれば、「自分に足りないところ」を痛感する場面もあったという。それでも、この旅を通して得たものは大きかった。「自分で進めていくことのやりがいや大切さを、身をもって学びました」。フィリピンでの「心を開く」気づきが、オーストラリアでは「自分から動く」という行動に結びついていった──半年間の留学は、帆士さんのなかで一本の線としてつながっている。
「死ぬときに後悔したくない」。既定路線を外れて見えた生き方
留学から帰国した今、帆士さんが見つめているのは就職活動だ。「この半年間で、自分がワクワクする感覚や、こんな人生を送ってみたいという理想を知ることができました。この経験を、無駄にしたくないんです」。将来的には海外に住むことも視野に入れている。行ったことのないフィンランドに関心があるほか、暮らしてみて肌に合ったというオーストラリアも候補のひとつだ。「留学で得た英語力やコミュニケーション力、フレキシブルな考え方は、海外で暮らすうえできっと役立つと思っています」。
その根っこにあるのは、「死ぬときに後悔したくない」という一貫した価値観だ。「このまま日本で社会人生活を送っていたら、レールに沿った、波のない生き方になっていたかもしれない」。フィリピンでは、決して便利とは言えない環境のなかでも明るく生活を楽しむ人々に出会った。オーストラリアでは、平日の昼間からビーチで寝そべり、ゆったりとした時間を大切にする人々の姿を見た。「不便利さや忙しさとは関係なく、自分の人生を楽しむ姿勢そのものが、日本にいるときにはあまり感じられなかったものでした」。

人見知りだった21歳が、2カ国での留学を通して知ったのは、「自分が変われば、世界の見え方も変わる」というシンプルな真実だった。その学びは今、次のステージへと踏み出す彼女の足元を、静かに支えている。
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