──「生命力がありますね。あのガッツは、日本の男性にはあまりないかなと思います」。ケニア人の夫について尋ねると、河端真理子さん(44)は迷わずそう答えた。日本人宣教師として、ケニアの地方で夫とともに教会を開拓し、現地の女性の経済支援にも取り組んでいる。取材当日は大雨で数時間前から停電しており、途切れがちな回線の向こうで3歳の息子をあやしながら話してくれた。12歳で抱いた夢を追ってアフリカへ渡った一人の女性が、異国で見つけた国際結婚という幸せや人生、宣教への想いなどについて伺った。
なぜアフリカへ?──12歳で決めた「いつか、アフリカへ」
アフリカを意識したのは12歳のとき。姉と見ていたドキュメンタリー番組のエンディングで、途上国の少女が重い荷を背負い、緩やかな坂を一歩ずつ上っていく場面が映った。その瞬間、「私は絶対、アフリカに行く」と心に決めた。
とはいえ、社会人になってからは経理のOLとして働き、「行くとしても定年後に少しだけ」と考えていた。クリスチャンの家庭に育ち、本人いわく「日曜日だけ教会に行くサンデークリスチャン」だったという。人生が大きく動いたのは27歳のとき、母教会の集会で信仰に目覚め、生活が一日で変わった。それでも、仕事を辞めて人生を教会の働きに捧げる「献身」には、「経済的に不安定になるから、やりたくなかった」とためらいがあったという。そのためらいを越える転機になったのは、もう一度神様に出会うような経験だった。自分で覚悟を決めて踏み出したというより、神様の恵みに押し出されるように献身へと導かれたという。会社を辞めて西南学院大学の神学部に入学。4年間学んだ後も、フィリピンでの語学留学や海外での研修を重ね、準備に3年をかけた。

宣教師とは──福岡の教会から、ケニアへ
キリスト教になじみのない人にとって、「宣教師」という言葉はどこか遠く聞こえるかもしれない。河端さんを送り出したのは、福岡市南区にある福岡新生キリスト教会。生まれ育った「母教会」だ。海外への宣教に力を注力していることで知られている。1968年に開拓された教会で、全国約300の教会・伝道所が加盟するプロテスタントの団体、日本バプテスト連盟に属している。バプテストは世界に広がるプロテスタントの主要な教派のひとつで、連盟の牧師養成を担うのが、福岡の人にはおなじみの西南学院大学神学部だ。
海外に派遣され、キリスト教を伝えながら現地の人々の暮らしに寄り添うのが、宣教師の役割になる。「伝えるだけでもダメ、支援だけでもダメ。その両方があって初めて意味がある」と。言葉だけでなく、自分たちも犠牲を払って行動で示さなければ、人の心には届かない。それが、ケニアで向き合い続けてきた実感だ。

コロナ禍のケニアで、たった一人で立ち尽くした日々
2019年5月、ケニア西部の街エルドレットにある聖書学校に身を寄せた。ところが、到着から1年もしないうちにコロナ禍が世界を襲う。学校は閉鎖され、ほとんど誰とも会えないまま、ゲストルームにこもる生活が続いた。言葉の壁もある。独身の外国人女性が一人で活動することの難しさにも直面した。「このままでは日本に帰らなきゃいけないかもしれない」。そう思うほど追い詰められていた。
ケニア人男性との国際結婚──決め手は”同じ価値観”
そんなとき、友人の紹介で出会ったのが、伝道者として働くケニア人の夫、アンドリューさんだった。半年ほど交際し、2022年12月に結婚。息子も授かった。

実は結婚を決めた時点で、夫の生い立ちや学歴、家族のことはあまり知らなかったという。決め手になったのは、価値観の近さだ。お金の使い方、時間の使い方、そして自分に与えられたものをどう生かすか。その感覚が驚くほど似ていた。付き合っていた頃の合言葉は、冗談半分の「ミニストリー(教会の働き)のために結婚しよう」。今も夫婦の会話の8〜9割は教会のことで、英語で交わす会話に喧嘩はあまりないという。国も言葉も育ちも違う二人を結んだのは、同じ方向を向いて生きたいという思いだった。
「こんなところを通ってきたのか」──ケニア人の夫が持つ、力強い生命力
夫の生い立ちを知ったのは、結婚後に少しずつ話を聞いてからだ。「びっくりしました。こんなところを通ってきたんだ、この人って思うくらいの貧しさで」。極度の貧困のなかで育ち、事情があって高校も卒業できなかった。両親から愛されて育った河端さんには、想像もつかない環境だった。
それでも夫は聖書学校で学び、牧師になれる資格を得て、今はオンラインで学位の取得に挑んでいる。「過酷な環境を通ってきた人の精神力は、相当なものです」。うまくいかないことばかりの現実を、忍耐でくぐり抜けてきた強さ。欲しいものがあれば、がむしゃらに取りにいくガッツ。日本では失われがちな”生命力”とは、そういうものなのかも知れないと感じた。

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」──現実を見る知恵
ただし、それは綺麗なだけの強さではない。「言葉にすると綺麗ですけど、もうちょっと黒い感じもするんです。したたかというか、グレーっぽいというか」と河端さんは笑う。現地では、支援を求めて近づいてくる人も少なくない。同情して手を差し伸べても、ふたを開けると話がまるで違う、ということもある。そうした中で生きてきたからこそ、夫には人や状況を見極める力がある。
聖書には「蛇のように賢く、鳩のように素直に」という言葉がある。ケニアで人と関わるには、ただ人を信じるだけでなく、人や状況を見極める知恵も必要だ。そうした現実を知りながら、それでも夫の芯にはまっすぐさがある。河端さんは、そんな夫の強さを知っている。
「綺麗事ではないけれど、それが神様のために使われるなら生きてくる。私は、そういうところが嫌いじゃないんです」。
夫であり、同志として──ケニアの田舎で、壁のない教会から始まった開拓
結婚直後の2023年初め、夫婦はケニア西部のキシイ地方、夫の地元の田舎で、ゼロから新しい教会をつくり始めた。最初は壁もない、柱と屋根だけの建物。その様子を知った母教会から建築のための献金が届き、少しずつ形を整えていった。
ケニアは2019年の国勢調査で国民の約85%がクリスチャンと答える国だが、教会のお金をめぐるトラブルは珍しくないという。「お金をクリーンに扱うという、日本なら当たり前のことが、こちらでは珍しいんです」。その誠実さに加えて、信頼を決定づけた出来事がある。ある母親の子どもが亡くなったとき、正式に籍を入れていなかったために、村で葬儀費用を出し合う互助の輪に入れてもらえなかった。教会が最低限の費用を支えると、「あの教会は、小さな人を見捨てない」という評判が広がった。今では子どもも合わせて約150人が集う。教会は祈りの場であると同時に、地域の困りごとを受け止める場にもなっている。夫が前に立ち、河端さんが後ろから支える。役割は違っても、目指す方向は同じだ。

ケニアの女性支援──1日数ドルで暮らす村で、女性が稼げる仕組みを
いま河端さんが力を入れ始めているのが、現地の女性の経済支援。田舎には仕事がなく、大卒でも職に就けない。10代で母親になり、一人で家計を背負うシングルマザーも多い。アフリカ布の小物を作ってもらい日本の教会で販売する計画や、パソコンを使った在宅の仕事につなげる構想など、女性たちが自分の力で稼げる道を模索している。将来の夢は、同じ敷地に教会と孤児院、小さな学校をつくること。「夫と、あと30年は働けるよねって話しているんです」。
12歳で夢見たアフリカで、夫であり同志でもあるパートナーと出会った。停電も珍しくない土地で、河端さんは今日も、二人で一歩ずつ坂を上っている。
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